2019年3月21日木曜日

私もたたらに参加しました

鉄をつくる  -----  火と汗の世界・ 経験と科学の世界

下仁田自然史館の前庭で、今年も鉄づくりの催しがありました。「たたら」とよばれる古くからの技術での鉄づくりです。  
下仁田は
 ●磁鉄鉱が採れて
 ●明治の初期に近代的な製鉄が行われた場所 ・・・つまり 鉄には「」があります

 でも、なぜ今になって昔の技術の、効率の悪そうなたたらを?と思う人もいるかもしれません。でも、大きな施設もないのに、庭の一角のようなところでレンガを積み重ねただけのように見える所で、鉄ができる・・・これって、魅力。
  何といっても
  自分でいじれる・参加できる・鉄づくりのすべてが見える・人との出会いがある

 というわけで、たたらをやってみようという人も増えてきているとうかがいました。
 そうは言うものの、準備から始まるこの仕事は、大変な労力と経験・知識が必要で、
 簡単にできるとは思えません。
   ここにもたたらを何度も行っている人たちが、出向いてくださっています。

理屈はさておいて・・・
写真のような炉で鉄づくり。
何だかごく当たり前に見えますが、この炉の高さを決めるにも、何度も繰り返した経験の積み重ねがあるとのこと。
一番下に穴の開いたブロックがありますが、これにも意味が。
風を送り込むふいごは、長いホースの先についているブロアー。ホームセンターに売っているもの。送風の強さだって、何でもいいというわけではない。

 今回も来てくださった永田和宏さん(東京工業大学名誉教授)は、鍛冶屋さんが小さな炉で簡単に鉄をつくったのを見て、学生とやってみて…しかし4年間も鉄は作れなかったのだそうです。今では、熱心にたたらの科学を伝えてくださっています。


炉の解体中 
鋼のもとになるものができる  ケラと呼ばれる

火の色を見たり、音を聞いたり、とにかく五感をフル活用します。
溶鉱炉より低い温度のたたらです。独特の技術があるわけでしょう。

「よし」と判断したら、取り出しです。

取り出すときは炉を解体です。


たたらの科学を語ってくださる

できたケラ


この会を企画しているのは
中小坂鉄山研究会の皆さん。
中小坂鉄山の鉱石で鉄をつくって、鉄山の守り神の石宮にあった鉄の柱を再現したいという夢を持っています。
 たたらは砂鉄と木炭を使用しますが、鉄山の鉱石は磁鉄鉱の塊。硬~い石です。
これを砕いて粉にして、たたらの炉で鉄にして…昨年からはじめて、昨年、今年とも、見事に成功しています。
磁鉄鉱から「たたら」により鉄を取り出しているのは、ここ下仁田だけだそうです。何しろ、まずは砕いて粉にしなけらばならない。大変そう。
できたら、守り神様も喜んでくれるだろうな。

 永田氏のお話では、たたらで作った鉄はさびにくく、刀の模様のように模様が浮き出たりと、一味違う特色があるそうです。この鉄で包丁をつくったら、さびなくて使い勝手がいいということになります。永田氏はこれを、原子の世界から解き明かしていこうとされています。自らあちこちに足を運ばれ、原子の世界を見つめ、鉄の世界も「奥が深い」!
 頑張って鉄と取り組んでいる中小坂鉄山研究会の人たちも,立派!

たたらについて少し詳しくは、私のブログ  野道 山道 で紹介しました。
野道  山道: 磁鉄鉱から鉄をつくる 目の前でのたたら製鉄

中小坂鉄山については以下です
野道  山道: 中小坂鉄山・近代的製鉄所があった場所

2019年3月18日月曜日

永田式たたら

永田和宏氏(東京工業大学名誉教授)考案

つぎのブログ(↓)
“たたら製鉄”   鉧(けら)およそ6.8kg
で紹介した“たたら製鉄”は、永田和宏氏(東京工業大学名誉教授)が考案した
 永田式たたら
で行われたものです。
2019.3.16
永田式たたらの構造(↓)です。
 講談社ブルーバックスから出版されている永田和宏氏の著書、
 「人はどのように鉄を作ってきたか」
に詳しく紹介されています。
下の画像は、組み立て途中の永田式たたらです。
2016.12.3
「羽口」の位置がよくわかると思います。
2017.5.21 東善寺・小栗まつり
永田式たたらによる鉄づくりを指導している永田和宏氏(長いバールを持っている方)です。
この写真は、高崎市倉渕町にある東善寺での小栗まつりにおいて、横須賀製鉄所(造船所)と小栗上野介とのつながりを考えようということで、たたら製鉄の実演が行われたときのものです。
鉄と人間の関わりを知るには、
  講談社ブルーバックス
  「人はどのように鉄を作ってきたか」
は、たいへんわかりやすく、詳しく書かれていますので、とてもよい本だと思います。

2019年3月14日木曜日

鉱山と鉄道

石灰・鉄・銅

群馬県高崎市と下仁田町を結ぶ上信電鉄は、わが国の私鉄としては、たいへん古い歴史を有しています。
下の画像は、下仁田駅です。
画像の左側には、白石工業㈱の倉庫があります。
下仁田町青倉にある白艶華工場で生産した炭酸カルシウムは、下仁田駅で貨車に積み込んで出荷されていきました。
また、白艶華工場が使用する燃料用の石炭は、貨車で下仁田駅まで輸送し、下仁田駅から白艶華工場に輸送しました。
いま、下仁田駅に接した倉庫は使用されていないようですが、かつては本線から引き込み線に貨車が入ったり、引き込み線から貨車が本線に出たりして、たいへん賑わっていたことでしょう。
つぎの画像は、旧太子駅にあるホッパー跡です。
旧太子駅には、群馬鉄山の鉄鉱石(褐鉄鉱)を輸送する際に使用されたホッパー跡が残されています。
そして、群馬鉄山の跡はチャツボミゴケ公園になっていて、多くの観光客が訪れる観光名所になっています。
群馬県内の鉄道で、鉱山つながりということであれば、わ鐵(旧足尾線)と足尾銅山も有名です。
この画像(↑)は、夕暮れの間藤駅です。
「厳選 鉄道の魅力100-今、あじわいたい日本の“鉄道”(交通新聞社新書)」
鉱山があったことで敷設された鉄道の多くが廃線(営業廃止)になっていますが、その土地の歴史として、しっかり保存していくことが大切なことではないかと、鉄道ファンでもある私はそんなことを思っているところです。        
(本多優二)